え、こだまの世界?

Every day is like survival

ELSI随想、東京出張、某イベントなど

バスを待ちながら

昨晩はだいぶ遅めに寝たので、遅めに起床。

風呂。某ELSI対談を読み直す作業。いろいろ考えさせられる。

それからシリアル、新聞。昨日の新聞だが、ゲノム編集の規制法ができるのか。

荷物を詰めて、バス停へ。週末はバスが来ない。

新幹線にて(ELSI随想)

結局、ぎりぎりで京都駅に着く。観光客で混んでいて駅の構内はまっすぐ歩けない。急いでおみやげを買って新幹線。

Feedlyで一月遅れの記事を読んでいたらあっという間に名古屋。胎児の細胞が母親の中に一部入っている(逆もしかり)というマイクロキメリズムという現象、おもしろいな。

30分死んだように寝る。今日のイベントの準備しないと。

富士山は雲がかかっていてあまりよく見えず。

専門分野というのは城であって鎧なので、そこから出て別の領域でやりあうのは勇気がいる。しかし、その勇気と覚悟がないと学際的な研究は難しいだろう。

そういえば関西倫理学会の「ELSIと倫理学」のシンポはすでにオンラインで読めるようになっているようだ。この「ELSIに魂を売る」という話はシンポの趣旨説明に出てきたフレーズだったんだな*1。ちゃんと聞いてなかったので、以下の私の質問では提題者の発言として理解している。

平出さんと三谷さんのお話では、お払い箱になるかとか魂を売るとか、非常に面白かったです。おそらくその前提〔に〕は、倫理学者とか哲学者は知を愛して、ELSI研究者は金を愛するという対比があるんだろうと思うんです。けれども問題は、応用倫理学というものに対して、お二人がどう考えているか〔ELSIも応用倫理学も同じ穴の狢だと考えているのか〕。多分伊勢田さんの発表の前提は、応用倫理学とELSIとは少し理想が違うというか、関心が違うものだということだと思うんですけども、応用倫理学というのは、お二人にとっては、上級学部に入るのか、下級学部に入るのか。もちろん、カントもカント研究はしてなかったと思うんですけども、生命医学とか科学に対して哲学者がどういうことを言うかという、そういうことをもう少し聞かせていただきたいなと思います。

〔 〕内は読み直して補足。質問の趣旨としては、「ELSIを批判するのはよいとして、応用倫理学もELSIと一緒に批判したら、倫理学に何が残るのか。カントなどの思想家を研究することが倫理学の主要な研究ではなく、応用倫理学的な研究において倫理学(哲学)をする必要があるのではないか」というようなことだったと思う。まあおもしろいシンポでした。

東京駅にて

ベジラーメンの店に並んで昼食。うまい。

そろそろ会場に向かわないと。

溜池山王駅にて

昼下がりから夕方まで、某パンデミック関係のイベント。勉強になったが、いろいろ考えるところあり。

夜、某氏らと居酒屋で夕食。歓談。面白いマンガの話など。

京橋駅で解散。本郷のホテルに向かう途中。某セサミ亭が少し赤門側に引っ越すとの話を伺う。

ホテルにて

本郷の某ホテル着。今日は一番高い部屋しか残っていなかったが、それでも某組合価格なのでましな方。

さあみんな準備しな
ほら、列車が来たよ
荷物は何もいらない
そう、ただ乗るだけさ

必要なのは信仰だけ
聞こえるだろ、ディーゼル音が
切符なんていらない
ただ神さまに感謝しな

 

People Get Ready

とくに信仰はないが、葬式をするときはこの曲をかけてください(ジェフ・ベックロッド・スチュワートのやつ)。

さて、寝ないと。

 

 

 

*1:「〔ELSIに〕関わらねば〔倫理学は〕お払い箱になり、関われば魂を売ることになる」