定時起床。食器を片付けてからしばらくヘーゲルの勉強。予想していたように眠くなったので二度寝。
「最近、体調が良さそうですね」
「いやあ、ヘーゲルの勉強を始めたら、よく眠れるようになってね」
シリアル、朝刊。急いで大学に行かないと。
iPS細胞から生殖細胞(前精原細胞、卵原細胞)の分化に成功。まあ予想された展開なので、早くELSI的な議論を進めるべきだろう。朝日が言及している米国科学アカデミーの報告書というのはこれか。
大学教員の「指導放置」の続き。これ、本当に教員の苦境ももうちょっと強調しておかないと、教員が何人も死んでから働き方改革という流れになりそうなんですけど。
大学教員の大量死
5月○日早朝、○鶴の海岸線に大量に打ち上げられた大学教員の死体に、散歩中の観光客たちが気付き、警察に通報した。原因は教育研究に加えて膨大な事務作業に絶望した大学教員が一斉に海へと向かい、次々と崖から身投げしたことと考えられている。市は重機を投入して廃棄を進めるが、今月一杯かかる見通しだ。政府はようやく重い腰を上げ、大学教員の働き方改革に着手することを約束した。
京○大学の○○教授は「身投げしたい気持ちはよくわかる。運営交付金が減らされて競争資金という麻薬に手を出さざるをえず、毎月申請書を書く日々が続く。出張するにも不正防止のためと称してよくわからない電子申請システムが導入され、ホテルを予約するのに丸一日かかる。授業準備も研究もほとんどできないうえに、○日新聞を読んだ学生たちからは「指導放置だ。忙しいというのはただの無責任だ」と突き上げられる。これ以上どうしたらよいかわからない」と言い残して、えいっと8階の研究室の窓から飛び降りた。
……などとくだらないことを書きながらゆっくり朝食をとり、身支度をして洗濯物を干していると遅刻しそうになる。フットの話を聞きながら急いで自転車で大学へ。
午前中は某授業。『ヘーゲルの「法」哲学』の所有とか道徳性のあたり。何年か前にも同じところをやったが覚えていなかったので、数年後にもまた忘れるのだろう。しかし、奴隷契約の何がダメか、というテーマはおもしろいことを再確認した。
授業中に外で草刈り機で草を刈っていたようで、半地下の教室に草の匂いが漂っており、最後には喉が痛くなる。アレルギーがあるので、できれば授業時間外にやってほしいところだが…
百万遍の某所で本でも読みながらゆっくりお昼を…と思っていたが、混んでいたのでコンビニで買い物して戻ってくる。ざるそばなど。In Our Timeのフットの回を聴く。レイチェル・ワイズマンなど。マイケルフットとの関係については話がなかったのと、司会のメルヴィン・ブラッグの滑舌の悪さが気になった。だいぶおじいちゃんになったと思うが、まだまだがんばってほしい。
自愛的非難と道徳的非難
非難には少なくとも二種類あって、道徳的な責任を問う非難と、本人の合理性を問題にする非難がある。前者は他人の利益を考慮しないことを詰る通常の非難で、たとえば「ちゃんと家事に協力しないなんてひどい」がそれである。後者は自分の利益を追求し損ねた場合の愚かさを非難するものだ。例えば将棋の重要な局面でどうしようもない一手を打てば、「アホや」「下手だ」と非難する。これは、他の人の利益にかかわらない限り、道徳的な非難とは考えない。同じことが、家を借りたり買ったりするときに愚かな選択をするとか、カレーを食べすぎて吐くとかいうときにも生じる。
自殺のような場合にも、自愛的非難と道徳的非難がありうる。仮に親が自殺した子どもが「家族のことを考えないで自殺するなんて、ひどい」と言ったとしたら、これは道徳的非難だろう。他方、ロミオとジュリエットのように、「ジュリエットが死んだと早とちりして自殺したロミオは、愚か者である」という非難は、自愛的非難になる。いわゆる自己責任と関連する非難は、自愛的非難であり、必ずしも道徳的責任を問うような非難ではない。
二つを判然に分けられない場合もあるだろうが(「自分の利益をちゃんと考慮しないあなたは、ダメな人間だ」など、「不合理なのはよくない」と言われる場合の「よくない」はどちらか)、道徳的非難だけしか非難がないと思わないように注意する必要がある。
「なぜ他人を殺してはいけないのか」という問いが以前(平成時代)に問題になった経緯は、平野啓一郎の『死刑について』でも解説があったが、現在は「なぜ自殺をしてはいけないのか」の方が学生にはピンとくる話題なのかもしれない。
ちょっと一服。これから某演習。
昼下がり、某第二演習。自己犠牲。おもしろい。
夕方、某氏に手伝ってもらっていくつか仕事。疲れてビール。
ちょっとカヴェルの『理性の呼び声』を読み始める。第一章の第一段落から大変な英語だな。
夜、自転車で帰宅して夕食。夕刊。
夜中、少し某翻訳チェックとスイッチなど。それからシャワー。